漢字の「トメ・ハネ・ハライ」のこと──文化庁の指針と学校現場の運用にズレがあったら……
- 楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵

- 20 時間前
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■漢字の「トメ・ハネ・ハライ」問題は、宿題・テスト・受験でのハードルにも
漢字の「トメ・ハネ・ハライ」のことは、うちの長男も何度もぶつかってきた学習の壁です。
彼にはLD(学習障害/限局性学習症)の書字障害の傾向や手先の不器用さがあり、視覚も過敏です。
小学校1年生の頃は、漢字を添削されても本当に見分けがつかないし、がんばっても正確に書けないし、自信と意欲をなくすしで、漢字書き取りの宿題につまづいて、親子で困り果てていました。
この記事では、
「添削指導が細かすぎる担任の先生に当たってしまった」
「学校のテストの採点が厳しくて納得できない」
「受験での影響が不安」
……などとお悩みの親子さんに向けて、以下の順でお伝えしたいと思います。
<目次>
🤔現実的に「トメ・ハネ・ハライ」に、こだわるメリットある?
漢字の「トメ・ハネ・ハライ」に四苦八苦しながら小学校時代を送った長男ですが、大学生となった今では全く困りません。だって、課題はパソコン&ワープロ打ちで、オンライン提出だから。
たまに「手書きじゃないとダメ」って先生もいますが(大抵は生成AI対策)、読める程度の文字でさえあれば、何か言われることもありません。
中学受験・大学受験でも、私立中高一貫校の定期テストでも、文字さえ合っていればマルでした。(※1)
今後、AIによる画像認識を使った自動採点が増えていくと、「トメ・ハネ・ハライ」が強いと、かえって、判定ミスの原因になる可能性もあります。
こういう現状で、宿題の添削やテストの採点で「トメ・ハネ・ハライ」の細部にこだわるメリットは? って、私は率直に言って疑問です。
🤔美しい字は素敵だけど……。「学習」の話は別なのでは?
もちろん、「美しい字を書くこと」には、価値があると思います。
私には達筆の友人がいて、彼女の年賀状が届くと「素敵だな」と、いつも思っていました。
キレイな字を見ると「思いやりがある人かも」などと想像して、まるで心までキレイな気がします。
でも、「美的・道徳・マナー」の話と、「国語学習・義務教育」の話は、全く別ではないでしょうか。ココを紙の上で混ぜてしまうから、おかしなことになるのだと思います。
たとえば、算数で「太郎さんにアメを8個、次郎さんには3個分けたら、残りは…」という問題で、「そんなの不平等だ」なんて話はしませんよね。
漢字学習は「国語」で。
美的センスの教育は「書写・図工・美術」で。
マナー教育は「道徳」か、各ご家庭で。
……コレでよくない? 先生も添削大変でしょう😉 と、いうのが、私の私見ですが……。
この点を、添削が厳しい担任の先生にわかってもらうには、もう少し説得力のある根拠が必要でしょう。以前よりネットでも拡散されていましたが、H28年の文化庁の指針をもう一度再確認しますね。
■ 文化庁の指針:「字体が正しければ、字形の違いは誤りと考えなくてよい」
文化庁の「国語施策」ページから配布され、全国の教育委員会に通達されている『常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)』(H28) 資料があります。
これをわかりやすく解説した、文化庁の公式動画がこちら↓
☝️この動画の大事な点のまとめ
字体=文字の骨組み(構造)
字形=具体的な字の形
そして文化庁は明確にこう述べています:
「字体が正しければ、字形の違いは誤りと考えなくてよい」
つまり……「書いた漢字が字として合ってれば、トメ・ハネ・ハライや、線の長さなどが、教科書の字の形(フォント)や、お手本の書き方と違っても、間違いじゃないよ」ってことです。
理由は以下。
手書き文字と印刷文字には習慣による違いがある
手書き文字は伝統的に多様な形で表されてきた
どちらか一方が正しいわけではない
さらに、「千」「干」「于」など、字形が違うと違う字になってしまう場合以外は、文字の細部に必要以上の注意を向ける必要はない、とも。
🤔理念と学校現場の運用とのズレも……
しかし、同資料でも「教育関係者への周知と理解促進が必要」と報告され(※2)、小学校学習指導要領解説国語編(H20.6) でも「児童が書く文字を評価する場合も、こうした考え方を参考に、正しい字体であることを前提に、柔軟に評価することが望ましい」と示されています。
文部科学大臣政務官通知や、文部科学省公式サイトでも、学校教育での手書き文字への柔軟な評価を推奨しています(※3)。
つまり、
行政:柔軟に評価することが望ましい
現場:旧来の指導法も根強い
という“ズレ”があって、まだまだ、現場の先生にまでは、十分認識が広まってないのだと思います。
まあ、学校に限らず、理念と実際の現場の運用がかけ離れるのは、「あるある」でしょう。
■もしも、担任の先生が漢字の「トメ・ハネ・ハライ」に厳しかったら?
では、このように、理念と現場の運用にズレがある状況で……
実際に、担任の先生が漢字の「トメ・ハネ・ハライ」の細部にこだわって添削し、お子さんがやる気をなくしたり、答えが合っているのにテストの点が下がってしまうこともあります。
そんな時、親は、どう対応すればいいのでしょうか。
☝️実例の前に、“考え方の基本”を少しだけ
一つには、上記の資料などを揃えて根拠を示し、丁寧に説明して話し合ってみることです。
特に、LD/書字障害・DCDなどのあるお子さんの場合は、「努力では乗り越えられない壁」があり、どんなにがんばっても「トメ・ハネ・ハライ」が書けないこともあるので、その点についても、理解と合理的配慮をお願いするといいでしょう。
親による説明が難しい場合や、先生にカドを立てたくない場合、特別支援コーディネーターやスクールカウンセラーなどに仲介してもらうのもテです。
ただ、そこまでしなくても、話せばわかっていただける先生は多いと思います。
特に、漢字指導に強いこだわりがあるわけではなく、「ただ、なんとなく丁寧な添削を心がけていた」「そういうものだと思っていた」という先生なら、納得できる説明があれば、柔軟に対応を変えていただける可能性が高いと思いますよ。
🤔もし、理解が得られないときは?
それでも、先生ご自身の指導方針へのこだわりが強く、どうしても折り合いがつかなかったり、理解が得られない場合もあります。
その時は、先生個人を批判せずに、「子どもの意欲を守るため」に、家庭でできる工夫や私教育など、親子でできることを探るといいでしょう。
■うちの実例:先生の漢字の添削や採点が厳しい・不安な場合
では、参考までに「うちではこう乗り切った」実例を。
【うちの例】
漢字書き取りの宿題:話せばわかる先生の場合
テストなどの採点:先生のこだわりが強い場合
中学受験での採点:不安がある場合の事前確認
【漢字書き取りの宿題】話せばわかる先生の場合
長男が小1の時の担任の先生は、漢字書き取りの宿題を、善意100%で本当に丁寧に、細かく添削指導してくれました。
ただ、漢字の細部を直されても、長男は「どこをどう直していいかわからないよ〜😭」と混乱して泣きながら宿題をやり直す日々が続き、「国語がある日は学校行きたくない」と、国語学習や学校自体に意欲と自信を失ってしまう結果に……。

そこで、当時丁度その頃に、長男に発達障害の診断がついたこともあって、担任の先生と特別支援コーディネータの先生に、併せて相談してみました。
すると、担任の先生は「丁寧にダメ出しする添削」から、「丁寧にほめる添削」へと、柔軟に変えてくれました。
添削指導に使う同じ労力を、ポジティブな方向で使ってくれたのです。そして……
「〇太郎くんにいい方法は、みんなにもいいと思うので、ほめほめ作戦やってみますね」と、
クラス全員の漢字ノートを花丸とほめコメントで埋めてくれました。その先生には本当に頭が下がる思いでした。
ちなみに、翌年度の先生は、めっちゃおおらかな添削で、宿題さえやってくれば、細かな部分には注目せず、大きくぐるぐるっと花丸を書くだけ。これは長男も気が楽で、先生も省エネでWin-Winでした。
【テストなどの採点】先生のこだわりが強い場合
次に、小学校のある学年で、担任の先生のテストの採点が厳しかった時のことです。
この先生は漢字テストだけでなく、他の教科のテストの採点でも、字形が悪いとバツや減点になって、この時も子どもの意欲や自信が失われてしまいました。
私は「字として合っているなら、正解にしてもらえませんか」と、やんわりお願いしてみたのですが、先生自身の書字指導への強いこだわりもあったのでしょう。対応は変えて頂けませんでした。
ですが、私はうちの子育ての鉄則、「こだわりに、こだわりで対抗しない」 (参照:「120の子育て法」p.213-)の応用で、この先生とは戦いませんでした。
その代わり、家でできる工夫「テストのマルつけ直し」で対応。
その子の好きな色で、もう一度、上書きして採点し直しました。ほめコメントつきで!
もちろん、家でマルつけ直す場合も、漢字の棒が一本多いとか、点の位置が全然違うとか、文字としての「字体」が間違ってる場合はバツです。間違いは、間違い。
でも、「別の字」に見えない範囲で、「トメ・ハネ・ハライ」がお手本と違うとか、横棒が長いとか、パーツが離れ気味だとかは、「その字として読めれば」マルにしました。
長女にも「私のテストも」とせがまれて少々大変でしたが、自信回復にはなると思いますよ👍
ただ、小学校ではコレでもいいのですが、定期テストの採点が内申点に影響する公立中では、進路選択にも関わるので、採点が厳密な中学などの場合、配慮含めて、相談されたほうがいいでしょう。
【中学受験での採点】不安がある場合の事前確認
この話は、以前の記事「中学受験に際して「発達障害」を事前に伝えるか?」で、詳しくお伝えしているので、要点だけもう一度。
中学受験時、長男は全教科で漢字のミスが非常に多かったので、志望校の個別相談会で、「勉強にはとても意欲的なのですが、字を書くことが苦手で、答えが分かっていても漢字をよく間違うので、受験に不利にならないか心配しています」と、やんわり相談しました。
すると、個別の配慮はなかったものの、「漢字解答が指定された問題以外は、ひらがな混じりでも答えが合っていれば正解」という、その中学の採点基準を教えて頂ました。(※1)
また、この中学は「トメ・ハネ・ハライ」などは厳密な採点対象とはせず、志望理由書なども「読めさえすれば、字が下手だからと減点されることはありません」と、志願者全員に事前説明していたので、長男も安心して受験できました(ただし、誤字脱字は減点とのこと)。
丁寧な説明があるだけでも、子どもの意欲や安心感は全然違うと思いますよ。
■文字は「書く」ものから、「打つ」ものへ
すでに英語学習では、2002年の学習指導要領の改訂以降、筆記体の指導は必須ではありません。
英語圏では、日常的に筆記体を使うのは署名程度で、パソコンやスマホの普及による手書き機会の減少もあり、ブロック体が主流になっています。その現状に合わせて、日本の英語教育も 20 年以上前に内容がアップデートされました。
漢字の「トメ・ハネ・ハライ」も、毛筆での運筆を前提にした名残でしょう。
そこにはもちろん文化的な価値がありますが、文化庁も別の動画で言及しているように、今は文字は「書くもの」から「打つもの」へと大きく姿を変えているのも現実です。
実際、私が著述活動をする中でも、手書きの赤字校正や、紙を読み込んでデータ化する時に、「トメ・ハネ・ハライ」などの“線のクセ”が強いと、誤読・誤認の原因になることもあります。
そのため、むしろ、意識して抑えているくらいです(時間がないとつなげちゃいますが……)。
教育の目的地は、子ども達が実際に生きる社会で必要な力を身につけることだと私は思っています。
そのためには、学校教育も文化を大切にしつつ、時代の変化に合わせて無理のない形にアップデートしていくことが求められているのではないでしょうか。














