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【第9回】個性と環境3〜空気と器のキャパシティ

更新日:2023年6月25日

【第7回】ではタテ軸である時代、【第8回】ではヨコ軸である場所と、個性との関係性について考察してきました。タテ、ヨコと来たら、今回は奥行き……つまり、空間の話です。


自分が今現在いる環境の「空気と器のキャパシティ」について、少し客観的に見てみましょう。


個性と環境-誰もいない教室
画像生成アプリ:AIイラスト


みなさんは、今年のクラス、どうですか?

4月の新学年でクラス替えがあって、GWが終わる頃にはそのクラスの雰囲気が出来つつあるのではないでしょうか。おとなしい子が多めの落ち着いたクラスや、パリピ中心でノリが良いクラスもあれば、中にはバトルロワイヤル風の殺伐としたクラス……なんて場合もあるかもしれませんね。


クラスの雰囲気と自分の個性との相性によって、居心地が良かったり、悪かったりするのではないでしょうか。


例えば、うちの次男・〇次郎は聴覚が敏感なので、にぎやかなクラスに当たると負担が大きくて、体調を崩しやすく欠席が増えてしまう傾向があるのですが、逆にみんなでワイワイやるのが好きな子にはそういうクラスのほうが快適に過ごせるでしょう。


「同じ学校」という場所であっても、その人の個性と雰囲気が合うクラス、合わないクラスって、毎年あると思います。

【第6回】では、「適応」について、魚と水の関係で説明してみましたが、淡水魚が生きるには、同じ淡水でも清流か、淀んだ沼か、などの「水質」も関係していましたね。


人の社会の場合も、「クラスの雰囲気」や「校風」(大人社会では「職場の雰囲気」「社風」「地域性」「土地柄」など)……などの言葉で表現されるような、その空間独自の性質がありますよね。


この、そこに所属している人達の集合体から自然発生して、集団の中で共有されている目に見えないその空間独自の性質=「空気」と、ひとまず表現します。

(いわゆる「空気を読む」のが苦手で「空気は読むものじゃなくて、吸うものです!」って人もいると思いますが、適当な言葉が翻訳含めて他にないので「空気」として話を進めますね)


「空気」にまつわることは、また別に詳しくお話したいところですが、日本社会で生きる上では避けては通れない文化的な要素でもあります。

さらには、10代のみなさんが、「誰が誰を好き」とか、「あの子に話しかけたのに無視された」「ヤンキー先輩に目ェつけられないように」なんて、毎日空気を読み合う状況に置かれていたら、特に重要な問題となる時期なのかもしれませんね。


そして、魚が生きる上で「広い海なのか、小さな水槽なのか」も大きく影響するのと同じように、教室など、人の集合体を容れる「器の大きさ=キャパシティ(容量)」も、個人がその環境に適応しやすいか、どうかにも影響しているのではないでしょうか。


今の環境が「大きな器か、小さな器か」で、それぞれの人の適応のしやすさが違ってくると思います。


仮に、環境には、物理的なキャパシティと、心理的なキャパシティがあるとして……


物理的なキャパシティとは、人の数と密度です。

例えば、1クラスの人数が、40人の大人数クラスと、10人以下の少人数クラスだったら、あなたはどちらが過ごしやすいですか?


私は人の多い場所が苦手なので、少人数クラスのほうが落ち着けそうだし、先生も勉強を丁寧に教えてくれそうな気がしますが……人によっては、人間関係が狭くて窮屈に感じたり、細かく干渉されることがイヤで、大人数のクラスのほうが気楽な人もいるかもしれません。

逆に、校風や学校の教育方針によっては、少人数クラスのほうが自由度が高く、大人数クラスのほうが管理が厳しくなることもあるでしょう。

(まあ、私の理想を言えば、20-25人くらいが、生徒と先生、双方に"適量"な気がしますが……)


人の数や密度は情報量にも関連し、感覚過敏などがある人は、人の密度が高いと情報量が多すぎて疲れてしまいがちなため、たとえ、"気のいい奴らばかり"のクラスでも「なぜか、学校行くのがダルい」なんて感じる場合には、クラスの人数や学校の規模、あるいは満員電車での通学などが、知らず知らずの間に負担になっている可能性もあるでしょう。


心理的なキャパシティとは、心の余裕や寛容さです。

おおらかで心が広い人を「器が大きい」、許容範囲が狭い人を「器が小さい」……などという慣用表現がありますが、環境側にも、余裕のある/なしや、寛容/不寛容な空気というものがあると思います。


例えば、それまで和気あいあいとしていたクラスでも、定期テスト前や受験期では急にピリピリとした空気に変わる、なんてこともあるでしょう(長男・〇太郎はこの空気感がすごく苦手みたいです)。

あるいは、教科担任の先生によってもクラスの空気が変わり、おおらかな先生の授業ではリラックスし、優しい先生の授業では騒がしく、厳しい先生の授業では一時間緊張しっぱなし……なんてことを、毎日繰り返している人もいるかもしれませんね。


環境側のキャパシティに余裕があって、どーんと大きな器であれば、それぞれに多様な個性のある40人の生徒たちでも、おおらかに受け容れられるのかもしれませんが……。

クラスの人数に関わらず、そこに一緒にいる人達が強いストレスやプレッシャーなどにさらされ続けていると、余裕がなくて不寛容な空気になりがちなのではないでしょうか。


適度な緊張やストレス耐性は、生きていく上である程度必要なことだとは思いますが、どんな個性の持ち主でも、度を超えればその環境に適応しにくくなるのは当たり前です。


もし、過剰な緊張やストレスがかかる状態が、そのクラスで「いつも」「ずっと」になっていたら、ケンカやいじめが増えたり、急にキレたり、不登校になったり……など、不適応や過剰適応になる人が増えていくように思います。


こんな場合は、個人の個性の問題だけではなく、環境側にも何かしらの大きな課題があります。


そもそもクラスの人数が適切ではなかったり、先生の人材不足や労働条件が悪かったり、授業数やカリキュラム自体に無理があったり、過剰な競争が求められていたり……などの理由で、器自体に歪みやひび割れが生じていると、多様な個性のある生徒達を、おおらかに寛容に受け入れることが難しくなってしまうのではないでしょうか。


個性と環境との関係性を考える上で、今いる環境の「空気と器のキャパシティ」の問題や自分の個性との相性は、その人が"差し当たり直面している現実"と言ってもいいでしょう。


ただし、「時代」「場所」よりも、「空気」に対しては、個人の影響力が大きくもあります。


もし、今のクラスの空気が少々合わなくても、個別にコミュニケーションをとったり、他のクラスの子や先生と交流して風通しをよくしたりで、少しずつ空気を入れ替えることもできるかもしれませんね(無理に、とはいいません!)。

逆に、クラスの空気がどうであれ、「あえて空気を読まずにマイペースで過ごす」というのも、私は結構カッコいいと思いますよ。


いずれにせよ「なんだか、今年のクラスに馴染めないな」「居場所がない感じがする……」なんて(青春時代の私のように)悩んでいる人がいたら、「自分がどこか変なのかな?」「うまくやれない自分がダメなのかも……」なんて自分だけを責めずに、空気と器のキャパシティにも課題や自分の個性との相性があるかもしれないこと、頭の片隅で思い出してくれたら嬉しいです。


 

参考情報:空気が読めなくて困っている人、空気を読みすぎて疲れてしまう人のためのSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)のうちのアイデア→Blog「TPOリスト-相手の都合を聞く言葉」

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