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【第2回】「自分」と「個性」とは…?

  • 執筆者の写真: 楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵
    楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵
  • 2020年10月30日
  • 読了時間: 6分

更新日:4 日前


赤ちゃんを抱えた少年と青年と大人の戦士
画像生成アプリ:AIイラスト

最初に少しだけ、「自分」や「個性」って何なのか、一緒に考えてみませんか?


10代の「凸凹さん」の中には、思春期の少し前くらいから、周りのことが気になり始めて…


「なんで自分は、こんなにみんなと違うんだろう」って、思い悩んだり。

「なんで、〇〇さんみたいに、なれないんだろう」って、落ち込んだり。

「なんで、こんなに簡単なことが、自分はできないんだろう」って、イライラしたり。


…なんて方もいるかもしれませんね。


私も、中高生の頃には、学校ではボーイッシュ系のキャラで明るく振る舞っていたけれど、実際は、そんなことをかなり悩んで、時々、自分の部屋やお風呂で、ちょっと泣いちゃったりもしてました。


今、うちの3兄妹も、それぞれ、自分の個性について悩んだり、詳しく知りたがったり、イライラしたり、不安になったり、努力や工夫をしたり、開き直ったり…を、毎日繰り返しています。


🩵「自分」と「他人」の違いに気づくということ。


これは、もしかして、心と身体が成長してきて、自分と他人の「違い」に気がつき、「じゃあ、自分って何…?」「自分らしさって…?」という疑問から、起こってくる気持ちなのかもしれません。


…だって、結構ショックじゃないですか? 


当たり前のことかもしれないけど、「自分とこの人は、違うんだ」って気がついてしまうと、なんだかちょっと寂しい感じもするし、突き放された気もするし、一人ぼっちになったようで心細かったり…。


でも、それは、今までの子ども時代には、ぼんやりとしていた自分の「個性」を、よりハッキリと、自覚できるようになってきたから…なんじゃないでしょうか。



自他の境界線

👉成長すると気になる、自他の境界線


誰でも、小さな頃は、自分と他人の境界線があいまいです。


例えば、うちの長男が2才くらいの頃は、自分のことを「ちった」と呼んでいました。

でも、児童館で一緒にあそんだ子も、テレビのうたのお姉さんとおどってる子も、子どもはみ〜んな「ちった」でした。


でも今は、私がうっかり、彼の名前を弟や妹や犬の名前と呼び間違えると、ムッとされます(笑)。


次男も、小さな頃は、服でも、おもちゃでも、双子のように仲良しの兄となんでも一緒に使っていましたが、今は彼のタンスの中に兄の服が紛れていると、ペイッ!って、イヤそ〜につまみ出します(笑)。


👉「自分らしさ」を見つける鍵は……


この、「自分は、弟でも妹でも犬でもない」「自分は、こんなセンスの服を着たりしない」等と思う気持ちが、「じゃあ、自分とは何なのか」「自分らしさって、何なのか」という、少々難しい謎を解く鍵の1つになりそうですね。


この鍵を沢山集めていくと、自分と他人を見分ける輪かく線のようなものや、自分の領土やテリトリーみたいな場所が、なんとなく見えてきそうな気がします。それが「自分」の範囲であり、その凸凹した自分の境界線の形を「個性」というのかもしれません。


🤔個性の形はどうやって決まる?


では、この凸凹した「個性」の線の形は、どうやって決まっていくのでしょう。


「個性」…と聞いて私が真っ先に思い出すのが、マンガ&アニメの「僕のヒーローアカデミア(通称「ヒロアカ」)」です。「ヒロアカ」の世界では「個性」という言葉が、「特異体質」や「超能力」のような意味で使われていますが…


まあ、そこまで強烈で特別なものではなくとも、それぞれの人の生まれながらの「体質」や「能力」の違いなどが、その人の「個性」の土台となるようです。


そして、誰にでもある、得意なこと/苦手なこと、できる部分/できない部分、みんなと違うところ/同じところ、好き/嫌い…など、その人の「凸凹」を線でつないでいくと、だんだん「その人らしい形」になるんじゃないでしょうか。


つまり、「個性」とは「その人らしさ」と言い換えられるかもしれませんね。


😟じゃあ、「その人らしさ」って何?


……でも、今度は「その人らしさ」って、何でしょうね。


「この人は、こんなキャラですよ」という、マンガでいうと、コミックス1巻の冒頭の「人物紹介」「キャラ設定」などのイメージが近そうですが、でも、それが全てではない気もします。


だって、ストーリーが進んでいくと、「不良が捨て犬を拾う」的な意外な部分が見えたり、第一印象最悪だったキャラが「実はいい人だった」とか、味方だと思ってたのに「実はスパイだった」とか、頼りなかったキャラがいつの間にか頼もしくなったり、何か大きな試練があって、突然覚醒したり、闇落ちしたり、寝返ったり、ツンがデレたりして、だんだんと魅力的な人物になっていくでしょ?


ですから、初期の「キャラ設定」のようなものは、その人の個性の全てを表すものではなく、あくまで今現在の「キャラ(パーソナリティ)」の1つに過ぎず、「とりあえずのもの」「一時的なもの」「1つの面」…くらいのもの、なんじゃないでしょうか。


個性の作られ方-パーソナリティの統合

☝️今はまだ、仮のキャラ設定でもいい


つまり、生まれながらの「体質」や「能力」に、「周りの人の影響(環境)」「経験(学習)」などのいろんな力が加わって「成長」していくと、自分の中のいろんなキャラが、だんだんと「〇〇さん」という1人の人に天下統一されて、自分の「個性」の完成形に近づくのかもしれません(もしかしたら、一生変わり続けるのかもしれませんが…)。


ですから、もし今、10代の「凸凹さん」で、自分の個性のことで、すご〜く悩んでいる方がいたら、「今はまだ、自分のストーリーは始まったばかりだし…」と、一旦保留にしておくのも、1つのテかもしれませんね(少年・少女マンガのほとんどが、主人公が小5〜高2くらいから第1話が始まるでしょ?)。


だって、10代の「凸凹さん」の個性は、今まさに、現在進行形で作られている真っ最中なワケですから、"今は"「自分」が何なのか、よく分からなくても当然なんじゃないでしょうか。


だからこそ、いつか「これが自分!」と、スッキリする日が来るまで、この特別な時期の自分自身を、大事に、大切にしてあげて欲しいな、と、30年前お風呂でこっそり泣いてた私は思います。

参考:

僕のヒーローアカデミア 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)  Kindle版で読む


(*1)個性=【identity】

このブログでは「個性」という言葉を、心理学でいう【identity】と、ほぼ同じ意味で使っています。【identity】は、難しい言葉で「自我同一性」とも訳されますが、身分証明の「ID」のように、その人が誰なのか、身元や氏素性などを表す意味でも使われます(参考:英辞郎 on the WEB【identity】)。


「10代のための凸凹学」連載記事:

【第1回】10代の凸凹さんへ(自己紹介)
【第2回】「自分」と「個性」とは…?
【第3回】発達と「成長の階段」の個人差
【第4回】自分の中の凸凹差
【第5回】「障害」という言葉について
【第6回】環境と適応・不適応・過剰適応
【第7回】個性と環境1〜変化する時代
【第8回】個性と環境2〜1つだけの花が咲く場所
【第9回】個性と環境3〜空気と器のキャパシティ
【第10回】期待される役割(役割期待)
【第11回】「発達障害」って結局どういうこと…?
【第12回】発達障害チェックリストに自分や他人が当てはまる…と思ったときに意識したい3つのこと
【第13回】「障害の社会モデル」の話〜発達障害の"障害物”は、あなただけの問題ではありません

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