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【第3回】発達と「成長の階段」の個人差

更新日:8月2日


階段に座っているスポーツ系少女
画像生成アプリ:AIイラスト

今回は発達と個人差について、じっくり考えていきたいと思います。


「発達」という言葉は、10代の方にとっては、”ほぼほぼ”「=成長」と同じ意味だと思っていいでしょう。


ただ、必ずしも全てが「発達=成長」とは限りません。育ち盛りの皆さんにはピンと来ないかもしれませんが、そこに「退化」や「老化」だって含まれるからです(退化や老化も、悪いことばかりではないんですよ。細かいことが気にならなくなってきますからね。笑)。


とにかく、この加齢と共に、人の心と身体に起こる変化の全てをザックリまとめた言葉が「発達」です。


そして、この「発達」には大まかな順序があって、生まれたばかりの赤ちゃんが急に走り出すようなことは、まずないでしょう。”大抵は”、寝返り→ハイハイ→つかまり立ち→よちよち歩き、というように、一歩ずつ、できることが増えて、それがまた、次の発達につながっていくんですね。


この発達の順序を、ここでは「成長の階段」としましょう(詳しくは、中学の保健体育か、家庭科の教科書参照。※テストでは「発達段階」と書いて下さいね)。


こうして、「成長の階段」を一段ずつ登ってきて、それが今の皆さんにつながっているワケですが…


実は、この「成長の階段」の形も、その登り方やスピードにも、個人差があります。


ですから、教科書通りの「"一般的には” 〇才ごろ、〇〇ができるようになる」という、「成長の階段」の登り方の例は、あくまで、平均的・標準的な発達の目安に過ぎません。


"仮に”、この平均的・標準的な発達の目安の範囲内で、「成長の階段」をエスカレーターのように、一度も寄り道せずに、スイスイ、スイーッと登っていく人がいたとしましょう(私は、実際にはそんな人は、かな〜り「少数派」だと思っていますが…)。


このタイプを「定型発達」と言ったりもします。


これは、お医者さんなどが使う便宜上の分け方で、少なくとも、「人の発達」という視点から見た場合は、いわゆる「フツーの人」ということになるでしょう(「フツー」については、できれば別の機会に詳しく)。


そして、「標準的な発達」以外の”例外”タイプは、「非定型発達」という言葉で、まとめられることもあります(私は「ちょっと大雑把過ぎん? そもそも”例外”が多すぎない?」なんて思うことも)。


そして、自分が"例外”タイプの場合、周りから「〇才なのに、まだ〜ができないの?」「もう、〇年生なんだから」なんて言われる機会が増えてしまってイラッときたり、プレッシャーに感じたり…。逆に「その年じゃ、まだ早すぎる」「子どもは、子どもらしく」なんて言われて、ムカッと来たり、もどかしかったりすることもあるでしょう。


あるいは、学校の授業を「難しすぎて分からない」という人もいれば、「簡単過ぎてつまらない」と感じる人もいるでしょう。


楽しそうにつるんでいる同級生達を見て「大人びていて、入っていけない」という人もいれば、「幼稚で恥ずかしい」「アホらしい」なんて冷めてしまって、疎外感を感じる人もいるかもしれませんね。


これは、繰り返しますが「成長の階段」の形も、登り方やスピードにも、個人差があるからです。


成長の階段の形は、例えばこのように…


成長の階段の形の例

「らせん階段」のように、一見、同じところをぐるぐる回っているようで、ゆっくりコツコツ「成長の階段」を登っていく人もいるでしょう(こういう人は「大器晩成型」だと思いますよ)。


「エレベーター」のように、なかなか成長しない時期が続いたと思ったら、突然一気にドーンと急上昇して、またしばらく、待ちの時間に入ることを繰り返すような人もいるでしょう。


あるいは、「ジェットコースター」のように、アップダウンの激しい階段を猛スピードで駆け抜けていく人だって、いるかもしれません。


本当は、「成長の階段」は、100人いれば、100通りの形があるのではないでしょうか。


ところが、社会のほうは、なかなかそうはいきません。


例えば、机や椅子を大量生産する時のデザインなどは「標準的な日本人」の身長や体型を想定することが多いでしょうし、服やポテトを売るお店では、お店の人は予め、一番売れるMサイズを最もたくさん用意したほうが、無駄が少ない感じがしませんか?


これと同じように、世の中の多くのことで、”仮に”「標準型」「多数派」を想定して、予めデザインされることが多いようなので…(例えば、学校の教科書の進め方など)、多くの"例外”タイプの人は、そこに自分を合わせる努力が必要とされるのかもしれませんね。


ただし、ポテトのサイズは、当然、LやSの選択肢もあり、その日の小腹とお財布と相談すれば、自分で選べます。


でも、「成長の階段」には個人差があるにも関わらず、例えば「学区の学校」や「学習する内容や、その進め方」などは、なかなか自分では選べない気がしますし、小学校は6年間、中学は3年間で義務教育を卒業することも、現在の日本の法律で決まっていますから、その先の高校・大学を卒業する年齢や、社会人になる年齢も、ある程度「標準型」が基準になっていることでしょう。


(標準型を基準に社会を作ること自体は、より多くの人の便利さと、時間や経済的な効率、一人ひとりに対応する場合の様々な負担等を考えると、私はある程度しょうがない面もあるとは思うのですが…)


そうすると、"例外”タイプの人は、まるでMLサイズの人が、自分にちょうどいい服が見当たらなくて、「がんばれば、ギリ入るから」と、無理にMサイズの服を着た時のように、少々キュウクツに感じることも、あるかもしれませんね。


ですから、もし、今の学校生活や社会全体などに、キュウクツさや、不便さ、生きづらさ…等を感じている"例外”タイプの人がいたら、もしかしたらその理由は、「自分にぴったり合った選択肢がない/選べない」気がする、という面もあるかもですね。


ひょっとしたら、10代の「凸凹さん」の困りごとや悩みごとには、この、それぞれの人の「成長の階段」の個人差と、予め、ある程度「標準型」を想定してデザインされていることとのズレが、根っこのところで、少しずつ関わっている場合も、案外多いのではないでしょうか。



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