2024年になりましたね。とても「おめでとうございます」とは言いづらい、新年の幕開けとなってしまいましたが…。被災された能登半島周辺地域の皆様に心からお見舞い申し上げます。
「どんなときでもポジティブに」とは到底言えないような状況では、自分自身を含めて、とにかく今あるものを大事に、大切にされますよう…。
そんな中、テレビ等で被災地の方々がお互いに助け合って炊き出しされている姿などを目にすると、大変な状況でも「人って強いな、温かいな」と思わずにはいられません。
自然災害に限らず、人生に度々訪れる危機的状況や、自分に余裕がない時に、赤の他人がしてくれた小さな親切や思いやりの行動に、本当に心が救われることもあると思います。
私も日々の子育ての中で余裕がなかった時期に、何度も「赤の他人」の行動に救われたり、肩の力を抜いてもらったりしたことを思い出しました。
ここで、私が子育て中に「世の中捨てたものではない」と思った赤の他人の方達のお話を(私自身の失敗体験も交えつつ)、2024年のご挨拶代わりにしたいと思います。
■Episode1:長男に靴を履かせてくれたおばあちゃん
次男が赤ちゃんだった頃、アレルギーとアトピーがひどく、なんとかしてあげたくて必死だった私は、当時2才の長男を連れて、その道では高名な遠くの病院まで、不慣れな土地を車で片道一時間かけて通っていた時期がありました。
人気の院内はいつも激混みで、診察まで2−3時間待ちになることも。加えて長男はちっともじっとしてなくて、狭い待合のおもちゃコーナーではスグに飽きてしまって、次男を抱っこ紐で抱えたまま、ご機嫌ななめの長男をあやしながらの順番待ち。
5分程度の診察を終え、会計する頃には私もぐったり。この上さらに隣の薬局でも順番待ちした後で、また車で一時間かけて帰るかと思うと、疲れとイライラですっかり余裕をなくしていました。
そして、帰り際の病院の玄関で、靴が上手に履けずにモタモタしていた長男が「まま、おくつ〜」って助けて欲しそうに私を見上げてきた時に、私は次男を抱っこしたまましゃがんで手伝うのが億劫で、冷たく「それくらい、自分で履きなさい!」って言い放ってしまったんです。
そしたら、近くに座っていたおばあちゃんが、ニコニコしながらすっと近寄ってきて、長男の小さな足に、小さな靴を履かせてくれたんです。
そして「まだ、こんなに小さいのに、ずっと待っててえらかったね」って、ほめてくれました。
私はその言葉でハッとしました。「ああ、この子はまだ、たったの2歳だった」…って。
赤ちゃんがいると上の子は大きく見えるので、「もうお兄ちゃんなんだから」と親は要求のハードルをあげてしまいがちですが……他人の目から見れば、0歳でも2歳でも、同じおチビさんなんですよね。
そして、おばあちゃんに言われたとおり、まだ小さな長男が(ましてや、じっとしてるのが苦手な子が)狭いところで3時間も待たされることが、どんなに努力を必要とすることだったのか、余裕がなくて想像できずに、彼のがんばりに思い至らなかったことを恥じました。
帰りの車で、長男のあどけない寝顔をバックミラーで見ながら、私は涙が止まりませんでした。
それから、私は上の子に「もう、お兄ちゃんなんだから」と言いそうになると、その日のおばあちゃんの姿が目に浮かぶようになりました。
■Episode2:長女を捕獲してくれた外国人ママ
あれは確か、長女がよちよち歩きの2才頃で、次男が年中さんだった時のお話。
ある日、次男の幼稚園のお迎え時間になったものの、長女はスヤスヤとお昼寝中。起こして連れてくのも可哀想だし、幼稚園は家から近く、車なら10分以内に戻れるし、「まあ、少しくらいなら大丈夫だろう」とタカを括った私は、そっと玄関に鍵して家を出てしまいました。
そして、次男を連れて戻ってみたら、玄関の鍵が開いていて、家に長女がいないので顔面蒼白に。
慌てて家を飛び出した私は、長女の名前を叫びながらご近所中を探し回っていると、公園にいたママさん達から「マイケル君(仮)のママが、ちっちゃい子に話しかけてた」といった目撃情報を得て、現地に駆けつけると……。
大柄な外国人ママさんが、長女の手をしっかり繋いで道の端っこで待機していて、私が母親だと分かると、ママさんもホッとした様子で「ママ来た? ヨカッタネー」と長女にスマイルしてくれました。
聞けば、長女は裸足にTシャツ、下はオムツ姿でよちよち歩いていて「明らかに、オカシイと思った」そうで、危ないからとりあえず捕まえておかなくては、と判断したとのこと。
でも、「ワタシが外国人で見た目がチガウから、この子に怖がられちゃうかも」と気を遣って、知り合いの日本人ママさんに連絡を取っていたのだそう(長女は全然怖がってませんでしたが)。
でも、私からすれば、なに人だろうが、肌の色や体格が違かろうが、咄嗟に機転を利かせて長女を捕獲しててくれた女神様です。もう、彼女には一生頭が上がりません。
私とは、知り合いの知り合いの、そのまた知り合いくらいの間柄で、お名前も「マイケル君のママ」としか知らないその方を、その後は年に一度くらい、自転車で颯爽と通り過ぎるのをチラッと見かけるだけですが、私はその後姿に今でも心のなかで手を合わせています(その日はいいことありそう!)。
ちなみに、長女は鍵の開け方は見て知っていて、起きたら私がいないので、「〇子がままをおむかえに行かなくちゃ」と決意し、お気に入りのリュックに人形を詰め込んで、幼稚園に向かってはりきって出発したらしいです…。
大反省した私はそれ以来、どんなに長女がすやすや寝てても、お迎えには一緒に連れて行くようになりました。
■Episode3:通学路沿いのマダム
長男が小学4-5年生の頃、帰宅時間になってもなかなか帰ってこないので、通学路を辿って様子を見に行くと、途中の道端で座り込んでいて、近くの大きな家の小綺麗なおばさまが、長男と一緒に座っていてくれました。
聞けば、長男は下校中に上級生達と口論になったらしく、「オマエは家に帰っちゃダメ!」と命令されたのを真に受けて「家に帰れないよ〜!」と泣いて立ちすくんでいたのを、庭仕事をしていたその方が気づいて、長男にお水を飲ませて落ち着かせて、「学校イヤだ」とか「通学路遠い」とか、いろんな愚痴も聴いてくれていたのだそう。
50代後半〜60代前半くらいの、穏やかで品のある感じのそのマダムに、私が恐縮しながらお礼を言うと「いいの、いいの。うちの子も学校が苦手だったから、他人事と思えなくて。その子も、もうすっかり大きくなりましたけど……」と、うふふと優しく笑ってくれました。
「ああ、私もいつか、子育てにもう少し余裕ができたなら、こういう人になりたいな」って、思いました(現在、まだ"余裕のある上品なマダム"にはなれてませんが、"犬のおばちゃん"にはなれました)。
この方以外にも、通学路沿いの方々や、見守りボランティアのおじいちゃん達には、子ども3人、度々お世話になってきました。
なので、なにかの折には「いつもありがとうございます」とお礼を伝え、小学校のPTA役員をやっていた(やらされていた)時期には、菓子折りを持って、小学生達にトイレを貸してくれる通学路沿いのお店や個人宅、登下校の時間に横断歩道に立ってくれる地域の人たちにあいさつ回りしたことも。
危なっかしい長男を筆頭に、次男も長女も、それぞれ小学校6年間、遠い通学路をなんとか事件事故に遭わずに無事に通学できたことは、地域の「赤の他人」の皆さんが温かく見守ってくれたおかげでもあります。
■いつか、自分の順番になったなら…
子育てに余裕のない時期には、他人のご恩を借りっぱなしの私でしたが、子ども達もそれぞれに大きくなってきて、そろそろ見守る側・助ける側になりつつあるのかなあ……と、最近思えるようになってきました(まだ「余裕がある」とまでは言えませんが…)。
毎日犬の散歩をしていると、年に数回程度、家の鍵がなくて中に入れずに困っているご近所の小学生や、通学路を外れて一人で歩いている新一年生に声をかけて、親や学校に連絡いれたり、一緒に待っててあげることもあります。
自宅前で自転車で転んだ中学生を手当てした時には、後日親御さんが菓子折渡しに来てくれました。
近所のスーパーやショッピングモールで迷子ちゃんをサービスカウンターに連れてったり、高齢者や外国人の方に道を聞かれて案内したり…(←人畜無害そうに見えるらしく、よく道を聞かれます)。
そうやって、かつて自分が受け取ってきた「赤の他人」の小さな親切は、自分の順番になった時には、元来シャイで遠慮しいな私でも、いつの間にか、当たり前のこととして、別の形で別の誰かに自然と恩返しができるようになるものなのだな〜と、最近しみじみ実感しています。
18年前は繊細で線の細い新米ママだった私も、そろそろ、安定感のある正統派のおばちゃんになってきましたよ(更年期だと口が乾くから、アメちゃんも常備してます)。
孤独を感じやすい時代だと思いますが、それでも赤の他人同士、やんわりと助け合って、さり気なく支え合って、ゆるやかに見守り合って、世の中が回っているのかもしれません。