回復法と結婚のカルチャーショックの話

4.2.2015

 

つい先日、結婚10周年の記念日でした(^-^)

でも、パパは出張でいませんでしたケドね。

 

うちのパパも診断はないけれど、ちょっとアスペ+ADHDがあるような、そんな人です。

初めて出会った時は、私よりもずっと年上なのに、少年のような瞳をして、恥ずかしそうに待ち合わせ場所に立っていたので、うっかり「素敵〜」なんて思っちゃいましたが、、、笑

 

共通の趣味が多くて意気投合し、三日で婚約。一ヶ月後に入籍と同時に長男を授かり、五年で3人の子ども。怒濤の人生が始まりました(^-^;)

 

でも、最初は私の父との同居もあって、なかなか上手くいかず。なんかいろいろ細かいこというし。味もうるさいし。自分勝手だし。全然気持ちを分かってくれないし。

子どもがお腹にいなければ、新婚時代は正直、乗り切れなかったかもしれません(^-^;)

 

しばらくは見慣れぬモノを見るような不信な目で、じっと私の顔を見ていたりすることもあって、そういうのは随分傷つきましたっけ。

最近「おまえはいつの間にかいたなあ〜」としみじみ言われ、10年目でようやく私のこと見慣れたようです。

 

大丈夫、実は私もそうだから。笑

 

でね。結婚というのはカルチャーショックの連続だと思うけれど、一番驚きだったのは、

「世の中には、疲れた時に動けば動くほど、元気になる人種がいる」ということ。

 

これは、私のそれまでの人生経験の中では全く想像できなかったことでした。

私は、自閉的で内向的で疲れやすいので、疲れた時には部屋で本やマンガを読んだり、ごろごろテレビを見たり、なるべく静かにじっとしているものだと思っていたのです。

 

ところが、この人は。

 

二人で外出して帰ってくると「疲れた〜」と言って、五分もしないうちに「じゃあ、ちょっと(ゴルフの)打ちっぱなしに行ってくる」と出かけ。

そこから帰ってきたら、また買い物に出かけ。。。全然、家にいないんです。

(そして、本当に疲れると、突然スイッチが切れます)

 

最初は「うちの居心地が悪いんだろうか」と随分気にしましたよ。

でも、義実家に遊びに行ったとき、義父も同じように動きまくって一日を過ごしていたのを見て、「そうしているほうが疲れないらしい」ことに気がついて、安心と同時に驚きがありました。

なんというか、この結婚が実は国際結婚だった、と急に知らされたような、そんな驚き。カルチャーショックです。笑

 

はよ、言え〜!

 

今でも、パパは休みの日もすぐにどこかに出かけていなくなるし、仕事も忙しいし、で、あんまり家にいません。そして、同じように疲れた時に動きまくる長男と長女がいます(^-^;)

まあ、身体を動かすことは好きなので、子ども三人を連れて公園やお出かけに出たり、あちこち行ってくれるので、助かることも結構あります。(全然子どもを見てないこともあるけど^-^;)

 

なので、私と同じタイプの次男には本当に癒されます。

静かにおうちでごろごろするのって、楽しいよね〜。ね〜。

 

こんな人と一緒に育児をしながら、長く暮らしていくためには、して欲しいことはいっぱいあるけど、「ほっとく」が一番いいと、今では思っています。

そうすると、向こうもほっといてくれるので、私も好きにしています。

 

こんな凸凹一家のある日の休日の朝の風景。

パパは早朝から打ちっぱなし。長男は大騒ぎで二階でゲーム。次男は寝ながらマンガ。長女はテレビを見ながら歌って踊って。私はパソコン作業。

 

それぞれが、それぞれに好きなことをやっていて、

でも、なんとなくは一緒にいる(あ、いない人もいるケド)。

。。。並行遊びですね(^-^;)

 

もうすこし静かに落ち着いて暮らしたいなあと思うこともあるけど、

最初は違和感ありまくりだったこの人の凸凹と、私の凸凹はテキトーに補い合うようになっていたんだろうなと思います。

 

数学や物理が好きなパパ。数式を見ると気持ち悪くなる私。

紅葉を見て「葉っぱが汚いね」というパパ。いろんな色彩を見て一喜一憂する私。

空気の読めないパパ。空気を読みすぎる私。

意外と女性的なところがあるパパ。結構男らしいところがある私。

 

子どもも含めて、アンバランスな人同士が一緒にいて、なんとなく家全体のバランスを保っているというか。。。

 

片付けが得意な人が一人もいないので(^-^;) いつも家はグチャグチャだけど、

私が自分の生まれ育った家にはなかった、ゆるい安心感があるんです。

実家も家族みんなアンバランスな家庭だったんだけど、凸凹がうまくかみ合ってなかった。

部分的にすごく負担がかかったり、一緒に住んでいても孤独で、バラバラでした。

元々持っているものは似ているので、違いは紙一重な気もします。

 

ほんの少しのあそび、手抜き、妥協、許し、慣れ、あきらめ、思いやり、自分時間。

 

そんなことで、最初はうまくはまらなかったパズルのピースも、角が削れて合うようになってきたのかもしれません。

 

次の10年目は、「子ども」というピースがぽろぽろと旅だっていく頃かもしれません。

どうかその時も、なんとなく補い合っている関係でありますように。