選択性かんもくと先生の思い出

1.25.2015

Facebookページでは、「学校との連携」のためのシェア・ツールを投稿しました(楽々式サポートブック)。子ども・保護者だけでなく、支援者である先生もサポートする、という視点でフォーマットを作っています。

 

。。。と、言うのも、学校の先生って本当に大変そう、忙しそうなんですよね。

(うちのパパも義務教育ではないけど、一応「先生」なんで、ちょっとは事情も分かりますし、、、)
既にいっぱいいっぱいのところに、更に「発達障害対応を」と求めていくとなると、状況によっては先生を追いつめてしまうことになりかねないので、できるだけ相手にとってもメリットになることや、他のお子さんにとっても有効であることなども伝えて、周りの先生方にも協力を得易いよう、渡し方を工夫するのがいいのかなと思っています。

 

先生と保護者がサポートし合い、フォローし合って、子ども本人のサポートにつながっていくと思います(^-^)


さて、私には「人生の恩師」と思っている方が何人もいるんです。

 

子育ての一番しんどい時期にお付き合い下さった東ちひろ先生。

母を亡くした後、創作指導を通じて心の救済をして下さった脚本家のM先生。

父と二人暮らしの介護生活に、文字通り花を添えて下さった、草月流生け花のN先生。

最近では、対人ストレスによる心身の不調克服のためにお力を貸して下さった、メンタルトレーニング・コーチの石井亘先生。

それから、直接お会いしたことはないけれど、作業療法士の木村順先生など、著書を通じて「師」と仰ぐ方も書ききれないほどいます。

 

一流の講師陣ですね(^-^)

 

「本当につらい時期」に寄り添って下さって、それを「人生の転機」へと導いて下さった、感謝してもしきれない、素晴らしい方たちばかりです。

 

この私の「恩師」の原点は、小学3・4年生の時の担任のT先生です。

 

T先生は、音楽が専門のベテランの男の先生で、ユーモアがあって、優しくて温かくて大好きでした。今思えば、落ち着きのない男の子や、勉強が苦手な子にも分かり易く黒板に絵を書いて説明したり、皆の興味を引く例え話や笑い話で授業をしたり、常に受容的で肯定的な話し方で接してくれたり、「発達障害対応」など何も指針のない時代でしたが、直感的に分かってらっしゃったのだと思います。

 

以前の「不登校の思い出」でも書きましたが、私は家族や慣れた人には話せるけど、学校ではほとんどだんまりの「選択性かんもく(場面かんもく)」のある子でした。

(「選択性かんもく」は現在ではPDD(高機能広汎性発達障害)の範疇にある課題と言われているようです。 参考:最新「子どもの発達障害事典」原仁・著(合同出版))

 

学校では、何か聞かれれば頷いたり、短く「うん」とか「はい」は言えるので、意思疎通はできるけど、クラスの子と会話を楽しむとか、そういう余裕はなかったんですね。
まあ、授業中の発言や慣れた子とは少しは話せたので、「障害」と呼べるほどではなくて、「ちょっとおとなしくて引っ込み思案な子」程度の印象だったと思います。


私が「だんまり」していた理由を今思い返してみると、休み時間や登下校の「自由に話していい時間」というのは、逆になにを話していいのか戸惑ってしまって、分からなかったんですね。授業中は答えを言えばいいのだから、割としっかり話せるんだけど、、、他の子と興味のあり方も違っていたし、お話好きの女の子達は何のことを話しているのかすら、混沌としていてよく分からなかった。「光GENJIのカーくんが〜」とか全く「???」で(笑)「話が見えない」って感じで、上手に話せる自信がなかったんです。

 

それから、他人とは必要なこと(業務連絡的な。笑)を話せばいいだけだと思っていたところもあるので、「会話それ自体を楽しむ」という価値が分かってなくて、一見すると「ムダ話」なことは、話す必要性を感じてなかったようにも思います。

 

更に、感覚過敏もあって、学校というのは刺激に溢れたざわざわした世界だったので、単純に怖かった、不安感が強かったから、うさぎなどの小動物と同じで、怯えて狭い巣から出てきたがらないのと似たような状態だったんじゃないかな。

 

だから、休み時間はいつも自由帳にお絵かきをしていました。

絵ではほめられることが多くて、ますます絵を描いたり、空想したり、と自分の世界に入ってましたっけ。そうやって気持ちを落ち着けて、なんとかバランスを取ろうとしていたんだと思います。今、視覚的な表現が得意なのは、その時のおかげカモですね(^-^;)

 

小3の頃の作品。懐かしい〜(*^-^*)

 

 

で、そんな私が不登校になって、担任のT先生はうちまで何度も様子を見に来てくれて、随分心配してくれました。私は大好きなT先生に迷惑かけちゃってることがほんとに心苦しかった。それから登校できるようになって、しばらくは気恥ずかしかったんだけど、いろんな子が話しかけてきてくれて、ちょっとずつ心を開きかけていた頃。

 

ある時、私はT先生の一言で、魔法が解けたように話せるようになったんです!

 

それは、国語の授業中「本読み」が私に当たった後の休み時間。

T先生が、ふと黒板の近くにいた私に

 

「◯◯ちゃんの声は、いい声だね〜! もっと聞かせて」

 

と、言ってくれたんです。

私はそれが心底嬉しくて。その時に自分の意思で「選択性かんもく」をやめました(^-^)

今思うと、本当に「やめた」という表現がぴったりだったと思います。

 

本当に小さなキッカケだけれど、「上手に話さなくては!」と思い込んでいた私にとっては「声を聞かせるだけでいいんだ」って、すごく気持ちが軽くなって、休み時間に毎回T先生の所に質問しにいくようになりました。勉強で分からなかったところが見当たらなくても、がんばって「分からないところ」を見つけて(笑)。T先生はほんとは私が分かってることも見抜いていたんだろうけど、いつも温かく丁寧に答えてくれて。T先生の周りに他の子も沢山集まっていたので、少しずつお話できる子も増えていきました。

 

それからは、かなり「フツーの子」っぽく振る舞えるようになりました。女の子同士のアイドルや歌番組の話も、気恥ずかしいけれどなんとか参加できるようになったし、趣味の合う子とマンガやイラストを一緒に描いた